d0iの連絡帳

気がむいたら書く

言語と非言語の境界線

今日、言語と非言語の境界線に自分がいる、ということを強く自覚した。

コードを書いているとする。そのとき、何かの理由で中断しようとおもっても、簡単に中断できないことがある。コーディングは言語的な作業であるにもかかわらず、コーディングを行おうとする考え方は、しばしば非言語的になる。そういったときには、頭の中身は、広がったイメージそのものと、そこからあいまいに浮かび上がってくる方針のようなもの、となる。

作業を中断するときにはメモを書くようにしているが、こういったイメージが広がっているときはメモもできない。メモに書ける程度まで頭の中身を抽象化できたのなら、検討の大切な部分は終わっている、とも言えるかも。

これは論文の骨子を書いたり、付加的なアイディアを原稿に追加したりしている場合もそうで、この状態を経由しないと何も出てこない。誰しも当たり前の状態といえば当たり前の状態なのだろうが、たまたま強く自覚したので、記念に記録。

ちなみに、このエントリを書くのは容易に中断できる(途中で風呂入ったし)。「考える」ことはすでに終わっていて、あとは頭の中で抽象化されたものを具体的な言語に書き付けるだけだからだろう。もちろん、コーディングでもそういうときはある。たとえば具体的な仕様書に沿うように、日本語をコードに翻訳するときとか、単純にバリエーションを増やす細工(UIとか)、面倒で後回しにしたエラー処理なんかがそう。そういうコーディングは大抵エキサイティングではないけど、とりあえず進むので現実逃避にはなってしまう。しばしばそんなことをしていて、もっと大事なことを後回しにする。




たぶん、イメージが広がって中断できない時は、抽象的でも具体的でもない時なんじゃないかとは思うけど、それを何と言うべきなのかはよくわからない。